正直に申し上げれば、整体の世界において「何をもって根本的な治療とするのか」という問いに、完璧な答えなど、まだ私は持ち合わせていないのかもしれません。
そもそも「根本治療」とは、何を指すべきなのでしょうか。
緻密な理論や理屈に基づき、力学的・生理学的な原因に対して的確なアプローチを行うことでしょうか。
あるいは、関連する問題のより中心的な原因や原初の原因をどこまでも追求し、特定することでしょうか。
もちろん、それらは不可欠なプロセスです。
しかし、どんなに立派な理屈を並べたところで、目の前の患者さんの痛みが取れず、動きが変わらなければ、それは結局のところ「机上の空論」に過ぎないのではないか。そう思えてならないのです。
これまで私は、学んだことを現場で試しては、思うような結果が出ず、壁にぶつかる日々を幾度となく繰り返してきましたし、今もそうです。
「痛みが取れない」「長続きしない」。
理屈は正しいのに、自分の至らなさに直面するたび、もどかしさと悔しさを抱えます。
それでも、目の前で悩む方をもう少しでも楽にしたい。
その一心で、日本中、海外講師まで教えを請いに行きました。新しい理論も、古くから伝わる伝統的な手法も、なりふり構わず学び、実践の場でぶつけ続けてきました。
それは決して華やかな近道ではなく、膨大なパターンの中から「自分と、目の前の患者様に合う形」を一つずつ削り出していく、職人のような泥臭い反復です。
そうして小さな改善を積み重ねてきた中で、ようやく、以前よりは長く、以前よりは深く、お役に立てる場面が少しずつ増えてきました。
一足飛びには辿り着けないけれど、昨日の自分よりも、ほんの少しだけ良い結果を届けたい。
その愚直なまでの地道な歩みの先に、私がようやく見出し、目指すべき指標とした言葉。
それが、私の考える「根本的な改善」だったりします。
今日もクライアントさんと患者さん 患者様の呼び方で今は病院でも「様」を付けていておかしいよねという話をしました。
自分は対等な立場だし共に歩む人だと思っているのでクライアントさんですね。自分も先生じゃないし、前島さんとか前島くんでいいなーと思ってます。
昨日も愛知に『少しの改善』を目指して練習に行ってきました。あちらはすっかり桜が咲いてました。
皆さんの生活も少し明るくなりますよう。
