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債務と恩人

高校時代に途方もない負債を抱えて、人生が台無しになるところを救ってもらった経験がある。

負債とは漢字練習だ。

高校1年の現代文の授業は授業の始めに漢字10問の小テストがあり

ここで赤点を取ると、間違えた漢字を練習するという課題があった。

非常に合理的なシステムだ。間違えた事を練習しましょう。賢い先生だ。

ただその頃の自分は漢字の練習よりもやりたい事がたくさんあり、それは大人になってみればしょうもない、、髪はこうすれば女の子にモテるとか。髪の毛の整髪剤はあそこのよりここの方がいいとか。今週のジャンプはすごかったとか。制服はこんな風に着こなす方がいいとか。なになにさんが可愛いとか。ヤンキーに絡まれたらどうするかとか。

クラスの人口が13人1クラスしかいない所から急に40人の8クラスになったのだ。

無理もないカルチャーショックだったのだ。自分の村の総人口に近い数の人が学校に収まっている。

町は密密密だ。田舎のスペース感は本当の田舎に住まないとわからないのだ。

あだ名が『ベム』だった。そう妖怪人間の

あの頃の僕は田舎から出てきた妖怪だった。

だから、『はやくにんげんになる』ことが漢字練習よりもずっと大切だった。

にんげんになる努力の傍ら、漢字練習はないがしろにされていた。ただこの漢字練習には非情な利子システムがあった。

詳細は忘れたが、期限内に漢字練習をやってこない場合には 一枚 さらに 一枚 と増えていく雪だるま式漢字練習だったのだ。

気づけば、漢字練習は200字の原稿400枚になっていた。おそらく複利もあったに違いない。あるところから少しづつ返済しているはずなのに減らない状況があった。

1年の冬、それでもなんとかなるだろうとたかを括っていた私に

現代文の先生から進級するにはきちんと課題をこなす事というお達しが告げられた。

死刑宣告の新しい形に違いない。

200字の原稿用紙400枚ではなく、400字の原稿用紙に変わった。200枚の原稿用紙を職員室で渡される。

折り曲げた時には小学館の図鑑くらいになった。曲げても紙の伸びようとする力が強く仕方なく巻き物のように持った。

あの冬、僕の鞄には弁当と整髪料と200枚の原稿用紙しか入っていなかった。

その日から僕の漢字練習RTAが始まった。

高校1年生の漢字はそれはやはりなんと言っても画数が多い。

韻律とか、誓約とか書いていたら1枚書くのに、30分以上かかってしまう。

まずは、練習帳からより早く、より画数の少ない字を探した。

『禍々しい』とか『懐かしい』、『煩わす』とか、ほぼひらがな練習帳だった。

懐かしい懐かしい懐かしい懐かしい懐かしい

すっかりゲシュタルト崩壊を起こして、懐かしいの文字の真ん中へんが目に見えてきたり、懐やしいになってたりしていた。

僕は高校になってもひらがなを原稿用紙に練習していた。変わり種だと『凹凸』もよく書いた、書き順を完全に無視することによって、一部へこんだ○と尖った◯を書く事で圧倒的スピードで原稿用紙に文字が敷き詰められていく。

一枚を最速15分で書き上げることができた。だがしかし、1時間に4枚かけたとしても200÷4=50時間

1週間に12時間、一日原稿用紙8枚だ。あの日の僕は数学も地理も美術もすべてが 漢字練習RTA だった。

指が真っ黒だった。

指が逝った。

そんな田舎の漢字練習妖怪を見かねて、「手伝ってあげようか」と手を差し伸べてくれる人がいた。

2人、3人と手伝ってくれ、ついには隣のクラスの女の子まで手伝ってくれた。

しかも、その女の子が他の女の子にお願いしてくれて、たしか20枚とか30枚やってくれたのだ。

結果的に私は200枚の漢字練習を提出した。ほぼ半分の100枚くらい手伝ってもらい。50枚くらい自分でやって、50枚くらいズルをした気がする。

あの日、留年しなくて今の人生があるのは漢字練習を一緒にやってくれた人たちのおかげだ。

その 隣のクラスの女の子 が今日お客さんで来てくれたのだ。

利発そうな子を連れて、すごく小さい女の子のイメージだったのだけど、小さい子供と一緒にいると身長が大きく見えたのか、苗字も変わっていたので誰かわからなかったのだ。

『前島くんだよね。ほら覚えてない?』

で恩人を思い出したのだ。

僕はいつも思う。

こんな時のために、頑張ってきた。

あなたの悩みには私が一番お役に立てます と。

あの時の漢字練習の恩が返せるか、私は今試されている。